こんにちは ユウジです。

 

2018年10月6日(土)に東京の築地市場が閉場し、現在お引越し作業中ということで、明日10月11日に豊洲市場で取引が開始されて晴れて移転が完了します。閉場当日に記事を書きましたが、当初の予定よりも2年も延ばされたことは小池都知事の決断力の低さなどによるものであると私は思っています。

それはさておき、先ほど面白いツイートを発見しましたので紹介しようと思います。

 

えっ!? 大阪市中央卸売市場(本場)にも昔は鉄道が通っていたのか!?

知らなかった( ゚д゚)

Wikipediaにもありました。大阪市場駅

大阪環状線野田駅から分岐した貨物支線の貨物駅だったそうです。1931年から1984年まで営業されていたそうです。野田駅は線路が敷かれていないところまで高架がありますが、それは跡地だったということなんですね。またひとつ勉強になりました。

現役時代の姿、線路跡をご覧になりたい方、検索すれば簡単に見ることができますよ。

 

 

東京の築地市場に鉄道が通っていたことは皆さんご存知ですか?

こちらの方が多分ご存知の方は多いでしょう。築地市場のカーブした構造は、長編成の貨物から効率よく(移動量少なく)荷下ろし・荷積みができるようにと計算されたものであったのです。

これについては、スーツさんが現地を訪れてとても詳しく説明しています。私がここで書くよりもスーツさんの動画を観る方が分かりやすいと思うので、動画をご覧ください。築地市場へ至る貨物線の跡地も巡っています。

 

こちらは東京市場駅

大阪市中央卸売市場は大阪市場駅

たぶん国鉄(開業時は鉄道省)は築地や野田といった地名は使わずに、多くの人々がすぐに分かる東京・大阪にしたのでしょうね。

大阪の代表駅、大阪駅もそんな感じでしょう。私鉄・地下鉄はすべて梅田なのにも関わらず、JRは今も大阪駅としています。

 

 

大阪も築地と同様に鉄道輸送向けであったのですね。

他にもそのような卸売市場は全国にあったのでしょうか? 現在、鉄道輸送をやっているところは恐らくないとは思いますが、あっ、鮮魚列車がある近鉄とかどうなんだろう?あれは三重の方か

この辺りまだまだ詳しくないです。(^_^;)

 

Wikipediaで大阪市中央卸売市場本場を調べると、1931年開場で関一(せきはじめ)大阪市長の計画で開設されたそうです。関一さんは都市計画のエキスパートであり、大阪を大大阪と呼ばれる程まで発展させた人です。

大大阪の頃の大阪って凄いんですよ。一時的に人口が東京を抜いていたようですから。

戸籍など大昔から国民・市民の管理が得意な日本ですから、こういう数値もかなり正確だと思いますよ。御堂筋・御堂筋線や北浜・淀屋橋・心斎橋辺りの荘厳な建物のほとんどは大大阪時代に建てられています。アメリカ・ニューヨークがどんどん進化していくなかで、日本もそれを追い越せと次々と東京・大阪の中心地にビルを建てていった時代です。

 

東京の築地市場は1935年開場で(建物が完成して整ったのがその年で、その前から色々と周囲でやってはいたようです。)、大阪市中央卸売市場本場は1931年ですから東京より早かったみたいですね。

ほぼ同年代なので、この時代は鉄道輸送が主力だったということが分かりますね。

アメリカではこの時代、フォードが急速に庶民にまで広まってモータリゼーションが進みましたが、まだ日本ではこの時代に自動車は全然走っていません。鉄道と船に便利な物流拠点・市場がこの時代においては最も効率的だったのでしょう。どちらの市場もそういう点で良く考えられていたと思いますよ。

 

大阪市中央卸売市場は1990年から2004年にかけて、建て替えられて設備は新しくなっているようです。それから14年後の今年になってやっと東京都中央卸売市場が変わるのですから、あまりにも遅すぎたという印象は持ちますね。

大阪が建て替えている頃の、石原都知事時代など移転についての議論は繰り広げられてきたようですが、色々と大人の事情でごちゃごちゃして全然進まなかったという東京の闇的な部分が結構見え隠れしますね。

 

さて、冒頭で出したツイートに戻りますがこの線路はなんなんでしょうね?これは謎です。

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