こんにちは ユウジです。

 

今回は、トイレでお昼ご飯を食べるという不思議な行為について私の考えを書いていきます。

日本では、高校生・大学生などを中心にお昼にトイレの個室にこもってご飯を食べるという不思議な人々が存在します。私は当然そんなことはしませんよ!する人はこんなこと書かないでしょう。(笑)

日本以外にお住いの方もご覧下さっていると存じますが、そのような行為をご覧になったことはありますか?また、そのような食事をされたことはありますか?たぶん、そのようなことは日本以外の国ではないと思います。もしあるようでしたら、コメント下さい。

 

日本においては、ひとりで何かをしていることを他者に見せることを恥ずかしいと感じる人が多く存在します。

そのため、自分に合う人が自分の依存している環境にいなくても、妥協しながら同調するということが常態化しています。その妥協によって、時にはいじめに加担してしまったりすることもよくあることです。

自分が心の底では良くないと思っていても、ひとりになるという恥ずかしい事態に陥ることよりも価値を感じるようになり、他者との依存をやめることが出来なくなるという日本人は非常に多い!渋谷のハロウィーンのバカ騒ぎの群れなんかもそうでしょう。騒動についての私の考えはこちらに書いています。

最初は恥ずかしいからという理由であったものが、次第にひとりになることは危険であるという認識までエスカレートし、何か行動を起こすということに恐怖を感じるようになります。そして、その恐怖が悪へと置き換わっていくのです。

孤高の存在があれば、そいつは悪だ!と思うようになります。そのなかには恐怖もあるのです。

 

さて、トイレでご飯を食べるという行為についてどんな感じなのかが分からないという方のために画像を載せておきます。

便所飯のイラスト

こちらになります。いらすとや(https://www.irasutoya.com/)にありました。実際にはこんな顔で食べている人は殆どいないでしょう。笑

※”いらすとや”は、身近な物事についてのフリー素材を提供しているサイトです。商用限らずフリーの素材ですので、個人から法人や役所などに至るまで幅広くしようされています。最近はTBSの一部のニュースで、いらすとやの女性キャラクターがアナウンサーとして起用され、ニュースを伝えるようになってきています。私もいらすとやのイラストを頻繁に使用させていただいています。

 

”便所飯のイラスト”という名前で2016年11月5日から公開されています。いらすとやは、話題に非常に敏感で感心します。それと同時に、ここまでトイレでご飯を食べるという行為が増えてきたのかと私は嘆いています。

 

なぜこのような事態が起きるのかというと、一つは小・中の義務教育で行われている給食もその要因であると思います。

給食の時間の机

このように給食の時には5人や6人でグループ(これを日本の多くの学校では班と呼びます。)になり、「みんなで一緒に食べましょうね!」と強要されるのです。これに逆らうことなんてできません。俺はひとりで食べたいんだ!と言ってもそんなのは無視です。「いいから机を合わせろ!」と教師は言うのです。また、「こいつとは関わりたくない!」となっても「ひとり合わせていないのがいるぞ!」と教師は言い、仲間という体裁を強制するのです。まあ、これは学校教育の要の部分ですので仕方がないことなんでしょうけれども...

 

これによって「食べることは一人では行ってはいけないのだ」という価値観が形成されて洗脳されていくのです。そして、その給食制度から卒業し高校に入ると他者との関係を築かないことによる孤食に、真面目な人ほど罪悪感を抱くのです。そして、トイレにこもるという変な行動に至るのです。そのほとんどは、トイレの個室の空間が好きで選んでいるのではなく、仕方なく我慢して選んでいるのです。そんな、出す所で入れたくないですよね。日本のトイレは抗菌技術に優れているでしょうから、変な病気にはかからないかもしれませんが、そのような行為は全く想定されていません。

 

「食事は神聖なものだ」と考える国々の方からは、なんと野蛮な人なんだと思うことでしょう。食事をとるということは歓びでありますからね。

 

高校のみならず、最近では大学生までそんなことをする人がいるようです。

18歳で選挙の投票権を持つようになり、こんどは成人と認められるようになるという大学生が、自分ひとりでご飯も食べることができない

情けないですね。そんな人が投じた一票なんて価値ないですよ。

そういう人が増える日本の将来に期待できますか?

 

なんというか日本の義務教育って

共産主義的部分が割と色濃く感じることが結構あります。

それも実社会と矛盾している部分も多いんですよね。

 

 

21世紀に入り、物事すべてが急速に回るようになりました。「みんなと一緒なら大丈夫だ!」「一人ひとりがどうであろうと全員が同じ行動をとらねばならぬ」という全体主義が果たしてこれからの日本経済の起爆剤になるのでしょうか?私はそうは思えません。

個々人が、それぞれオリジナルの自分の幸福を追求する方向に進まなければならないのではないでしょうか?今までの画一的なシステムを継続していって大丈夫なんでしょうかね?

その画一的なシステムを壊し、自由をもたらすコンピューターが急速に進化を遂げているのです。2015年頃、一時期私は頭打ちなんじゃないかと思っていましたが、そんなことは決してありませんでした。ただ知らなかっただけだったのです。テクノロジーに触れ、知れば知るほど変えなければならないと感じるようになります。

 

ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

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