一を聞いて十を知った気になるな!

こんにちは ユウジです。

 

皆さんは、この言葉をご存知ですか?

一を聞いて十を知る

ご存知の方がかなり多いだろうと想像します。この言葉は、中国の『論語』由来の言葉です。

デジタル大辞泉の解説
《「論語」公冶長から》物事の一部を聞いただけで全部を理解できる。賢明で察しのいいことのたとえ。一を以て万(ばん)を知る。

孔子に対して私がこんなことを書くことは、烏滸がましいと多くの方々から批判されるだろうと思いますが、私はこれは全然良いことだと思っていません。 一を聞いて十を知るということは、優秀で理想の人物像であると思われている方がいらっしゃると思いますが、私はそれを目指そうと思うことはありません。 逆に十を聞いて確実に一を知る人になるべきだと思っています。別に10に限らず、100でも1,000でも私は良いと思っています。
なぜかというと、「一を聞いて十を知る」ということはほぼ不可能であると感じるからです。
孔子の時代はそれでも良かったのでしょうが、今は違うと思いませんか? インターネットがこれだけ普及し、様々な人々と関わるようになった現代で、一を聞いて十を知ることなんて出来ると思いますか? また、次々に様々な情報が飛び交って進歩していく現代社会で、一つの情報だけで本当に正しい判断ができると思いますか?
私は無理だと思います。
孔子さんには悪いですが、現代社会はそんなに単純ではありません。
複数の事柄が複雑に絡み合って、新たなものが産まれたり、新たなことが起きたりするのです。
あくまで、例えということではありますが、あまりにもかけ離れたものであると思わざるを得ません。そういう人になれるように頑張ろうという人はいっぱいいると思いますが、きっと誰にもできないことでしょう。
もしそんなことしていたら、誰からも求められなくなるんじゃないでしょうか?
たった一つの情報を聞いて、想像を膨らませてこうだろうなと行動しても、間違う可能性が高いです。 逆に一つの情報を聞いたら、九回自分から聞いていって、間違いをなくす努力をすることの方が間違う可能性が激減します。損失はとことん回避すべきです。そうでしょう?
そして、一を聞いて十を知る人を求めるのであれば、そんな考え方は捨てるべきです。あなたから十を発信すれば良いのです。 相手にそんなことを求めること自体、自分が楽をしようと思っているようにしか私は感じられません。
インターネットによって、グローバル社会になっています。世界の人々と容易く交流出来る時代になりました。進んで様々な地域の人々と交流している人ほど成功しています。
私たちの間での常識が相手には伝わらないなんてことは、たくさんあります。それはあって当たり前なんです。環境が全く異なるのですから!
日本国内でも地域が違うと伝わらないことなんか大量にあります。共通に使っている言葉であっても読み取り方にズレが生じてきます。 地域が同じでも、育ってきた環境の違いでズレが生じることはよくあることです。
また、インターネットでは知能による壁もありません。自分の知能を超えて様々な人々と関わり合いますので、相手が理解できるか良く考えなければなりません。もし理解されなくても、「何でそんなことも分からないんだ!」なんて絶対に言ってはいけません。これは知能ではなく、自分とは別の地域の人々とやりとりするときも同じです。
他の地域に対して一の情報を元に判断して、持ち上げたり差別したりするのも異文化理解という点において最悪なことです。「一を聞いて十を知る」こんなことに縛られていては、視野の狭い人間にしかなれないでしょう。「あっ、察知」といった言葉がインターネットには溢れていますが、あんなのは理解した気になっているだけです。
どんどん聞いた方が良いんですよ!
皆が正しい行動を取れるようになった方が、社会は豊かになっていくでしょう。どんどん聞くというのも一人に対してに限りません。二人でも良いですし、10人でも100人でも1万人にでも良いです。判断材料は増えた方が良いでしょう。そうしていくことで、詐欺に騙される可能性も下げることができます。 年長者ほど多くなりがちだと思いますが、こういう場合はこのパターンで良いだろうと断定することもやめた方が良いでしょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。このブログをこれからも読みたいと思われた方は、ブックマークやお気に入り、RSSなどに登録をお願いします。

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